気配・修正11/26

hinakichi
2021年11月26日

 修正が飛び飛びでなかなか進まないのだが、それでも、ほんの少しずつ前進してはいる。薄塗を繰り返すことで深みを出す練習。薄塗ゆえになかなか目指している色見に変化していかない。

 ある時期、なぜ制作活動をしているのかと問われると何と答えればよいかわからず困ってしまうような事が続いた。それに答えを出してくれた作家仲間がいた。細かい言い回しは違うかも知れないが、(もしくは自分の中で変化したかもだが)私にとっての制作は、素晴らしい作品を制作して、展示で発表して、世の中の皆さんに見てもらい評価を頂くということではなく、人と交流するための手段なのである。人はそれぞれ得意・不得意な分野があって、人と交流するうえで、皆得意な分野で交流すれば良いということ。つまり、私は喋る(言葉で伝える)ことが苦手で何言ってるかわからんとよく言われてしまう。そこで、言葉の代わりに最近の自分を伝える手段として絵を描いて、身近な仲間と交流をするのである。「最近どお?」「こんな感じ~」といった具合である。作品に、制作している頃の自分が良く現れているとつくづく思うからである。今回の「気配」展示した時期のなんと激しい色あいであったことか!まだ修正半ばではあるが、明らかな変化を感じつつある。



と思ったらドカ雪

hinakichi
2021年11月25日

  家から出られない!!昨晩更に降り続けてこの有様。

…まあ出たけど、いきなり小型除雪機出動!

ドカ雪とは方言だろうか。



初雪

hinakichi
2021年11月24日
昨日雪が降りだした頃の様子。降る雪は写真に写らないんだな

 今年はなかなか雪が降らないな、、と思っていたら昨日とうとう初雪が降った。厳密にいうとちらほら舞っていたくらいの雪は一日あったのだが、降ったといえるほどではなかった。とうとう降ったな、と思っていたら今日になっていよいよ強く降り出して、あれよあれよと30センチも積もってしまった。あまりの変化に体がついていけず、雪かきも出来ずに結局家から出なかった。今季は暖冬と聞いたような気もするが、北海道は今年夏の雨量が極端に少なかったので、元を取るように冬は大雪になってしまうのかもしれない。

 勤めている農家から大根を頂いて、初めての沢庵を漬けるべく13本干していた。雪に降られて神妙に垂れ下がる大根たち。まだ干し方が足りないので、風除室で干しなおしている。

太い切り干し大根を作りたい!と思って太く切ったのだが、太すぎただろうか。



間違い電話

hinakichi
2021年11月7日

 昨晩のことである。夜8時過ぎに携帯電話がなった。出ると少し間があって「間違えました」と切れた。それから15分位経って、また同じ番号から電話がかかってきた。番号からすると神奈川など関東圏。電話に出て名を名乗ると、無言で切れる。すると5分後にまたかかってきた。声を発しないので、こちらからどなたかとお間違えではないですか?と話すとまた切れる。何なのだろう?家電からなので、押し間違いなどを考えているのか?そしてまた5分後に掛かってきたので、再度名を名乗りどちらにおかけでしょうかと問うと、「とぼけるんじゃねえ、電話に出しな!!」と言ってきた。えっだれをですかと間抜けに聞き返したら、また切れた。中年よりも高齢者寄りの女性の声だ。考えているとまたしてもベルが鳴る。改めて間違えである事と名前と、この携帯番号は20年来使っている旨を述べたが「ごまかすんじゃねえ!!早く出しな!!」と言ってまた切れた。ここで私はいったん笑い話がてら家族に電話をしてどうしたものかと相談したのだがその間にまたしても着信があったようだ。電源切っとけばとのアドバイスになんとなく面白くなってきてしまった私は惜しい気がして更なる着信を待ったのだが、それきりかかっては来なかった。

 計6回の間違い電話。内容から察するに、女性は夫の携帯に家電から電話を掛けた。始めは間違ったのかと思ったが、これは夫の居ない隙に浮気相手が夫の携帯に出たと考えたのではなかろうか。きっと前科持ちの旦那さまなのだろう。私はどうすべきだったか。①間違いを根気よく伝える。②いい加減にしろと怒る。③電話に出せというので一緒にいた父を出す。④電源を切る。⑤事情を聴く。⑥掛け直し話相手になる。。携帯には着信番号が残っているではないか。だって6回も掛けてきたんだし。…いやいや、単に私が興味本位でどういう事情か知りたいだけではないか。そんなことしたらただの変態ですね。もちろんしません。が、私のような人間から逆に絡まれるかもしれないので、皆様も間違い電話にはお気を付けください。

 



御神木

hinakichi
2021年11月6日

 実家が今の古民家を改築して引っ越してきた当時、家のすぐ裏に小高い丘があり、数本の木が立っていた。今にも崩れそうで危険だから撤去を土地の所有者にお願いしようとしたところ、中心に立っている木がこのへんの住人たちにとっては手を合わせたりするご神木なので、なんとか残してほしいと頼まれた。しかし、木を倒さないまでも崩れないようにネットを張るなどガードするように検討をお願いしていたところで暴風雨に見舞われとうとう一本家の屋根に倒れてきてしまったのだ。結果的に土地の所有者はご神木を含めた殆どの木を切り倒した。仕方のないことだったと思う。

 さて、露になった丘に裂け目が見えた。覗くと中は空洞になっている。裂け目より下は砂利で埋まっている。この辺に詳しい方の話では、これはどうやら防空壕であるとの事だった。こんなに身近に防空壕なるものが当たり前に存在していることに驚いてしまった。急にかつての戦時中の人々の日常と自分の日常が地続きになったのだ。姉に話すと、子供の頃防空壕で遊んだよね、という。記憶はないのだが、昔はそういったことが日常だったかもしれない。ご神木は無くなり、防空壕もいずれ完全に埋まるか撤去されてなくなるだろう。そういった土地の記憶が風化するかわりに、私の中でリアルに刻まれた。



甲州街道はもう秋なのさ

hinakichi
2021年10月31日

 清志郎さんはこういうのが好き。

友人達が清志郎tribute band(略してKTB)を結成しており、12月5日にライブがある。よろしければ是非!

小樽ゴールドストーンのHP・ライブスケジュールはこちら



絵をかくはと

hinakichi
2021年10月25日

*『カラー版・創作えばなし3 絵をかくはと』 坪田理基男・作/ポプラ社1974年

 幼稚園から小学4年生くらいまで夕張郡の栗山町に住んでいた。小学2年生の時、小学校の図書室から「絵をかくはと」という絵本を借りて読んだのだが、それが物語に感動という経験をした初めての作品だった。(にもかかわらず)内容はうる覚えなのだが、戦争で亡くなった子供が鳩になって戻ってきて、路上に絵を描くという内容だったと思う。図書室に返却したあと、手元に置いておきたくて思い出して真似をし自分で冊子を作ったくらい魅かれた絵本だった。それから約10年程たった大学生時代。夏休みに実家の小樽に帰省した際、栗山町に小旅行を計画した。母校を訪ねもう一度記憶の中の絵本を読み、感動を確かめるためである。

 出発は期待でいっぱいだった。あの時の感動は確かなものであったのか。高速バスに乗り栗山町に到着した。思い出の地を一頻り歩いた。音がしない。しーんと静まり返って、人っ子一人いない。考えてみれば学校は授業中だし、大人はみな就業中だろう。それにしても車も一台たりともすれ違わない。これにはわくわくしていた心がすっかりしぼんで、ひどく物悲しい気持ちになってしまった。栗山とはこのように寂しい町であったろうか?記憶の中の、子供時代の遊んだ思い出の数々、それはもうあんなことやこんなこと、良いことも悪いことも含めて激動の日々だった。けれど実際は子供時代だって街中は変わらず静かなものだったのだろう。思い出って得てして寂しいもので、さらにそれが完全な過去として決別し、強調されてしまったのかもしれないな。

 小学校に到着し、職員室で事情を話すと図書室に案内してもらえた。目当ての絵本は無事に見つかり、記憶していたとおりの内容だった。町を降り立った時の寂しい感情が強烈すぎて、絵本はというと、内容の確認をしたという感じ。でも、この本は8歳の子供の心に確かに形を残したのだ。その後恥ずかしながら漫画家を目指し、挫絶後絵本を(時たまだが)描き続けている今も、実は絵以上に話で感動したいと思っているところがある。

 その後何年か経ち、何かの拍子に栗山町が絵本の町として活動をしていることを知る。(ただ、今検索で見る限りでは確認出来なかった。)その後日ハムの栗山監督が住み始めて知名度が急にアップ。町のHPをみると、現在なかなか頑張っている様子で嬉しくなった。



生命の神秘

hinakichi
2021年10月14日

 今から3~4年前の出来事。ある冬の日、電車の発車時刻に焦り慌てて小走りしていたところ、案の定氷の上で転倒してしまった。思い切り膝を擦り、ジーンズに穴が開いた。膝に出来た擦り傷に絆創膏をはり、取り合えず対処をした。それから幾度となくお風呂ORシャワーに入るのだが、絆創膏が際まで綺麗なままピッタリ張り付き一向に剥がれない。最近の絆創膏は性能が良いのだな。。などと感心し剥がれないのだから剥がれるまで自然に待とうと思い放置していたところ、なんと一か月が経ってしまった。(えっ汚いと思った皆さん。私が肌断食をしている事も影響したと思うのだが、肌断食についてはまた後日)。

 張り付いたまま放置したためより一層粘着してしまったのかもしれないが、一か月たっても剥がれないのでとうとう思い切って剥がしてみた。するとどうだろう!擦り傷のまあるい跡の部分に、絨毯のようにふっさりと毛が生えているではないか!5~7,8mmくらいの長さがあったように思う。最近の研究では傷口は乾燥させず保湿しておくことで回復が進むという話なのだが、まさにそれか。傷口がふさがるどころか、次回遭遇するかもしれない事故に備えて毛まで生やすとは。

 あまりの衝撃に一時ネタにして話して回った。これって毛生え薬の開発に活用出来ないだろうか。ちなみに、絆創膏を剥がしてから自然に毛は抜け落ち、元に戻った。

もっと柔らかそうな毛がフワフワ生えていた



ノシメマダラメイガ

hinakichi
2021年10月13日

 シンク下扉内に保管していたお米に虫よけのため乾燥唐辛子を入れておいていた。それがこの暑さのせいで唐辛子が溶けて周りのお米が赤く染まっている。なんてことだ。湿度が高いということなのか?そして、中に多数の虫を発見!お米に虫がつくとはこういう事か。初めての経験である。改めてお米を買って今度はとりあえず冷蔵庫と、キッチンの台の隅の見えるところに置いている。これから冬なので来年の夏にはどのように保管すると良いか考えなくてはならない。冷蔵庫に全部は入れられないし。

 そんなことがあったことをすっかり忘れて田舎ライフを楽しむ日々。先日天井からぽとっと落ちてくるものが。これは、見覚えのあるイモムシではないか。お米の袋の中を早速捜索するが見当たらず、一応安心。しかしどこから出てきたのだろう。数日してまた突如テーブルの上にあらわれたイモムシくん。こ、これは…いる。絶対にいる!…そして昨日乾燥大豆を使おうとしてとうとう発見。ああ、ジップロックで2重に密閉されていたはずの袋の中で元気よく集(つど)っている…。

 調べると、おそらくノシメマダラメイガで間違いなかろうと思う。一応害はないらしく、虫を除けば食べても問題ないらしい。問題ないと言われてもこれって美味しさを維持できているのだろうか。しかしながら、私は食糧難に備えて虫を食べる覚悟を吹聴して回っているのになんという体たらく。う~ん、イモムシ系はちょっとも少し後かな!。とある昆虫食体験記(どのブログか忘れてしまった)を読んでいると、初めは恐ろしく抵抗をかんじるのだけれど、食べだすと急速に慣れていく、というくだりが興味深かった。虫なんてエビを食べるのと同じという知人の言葉を思い出す。



テレフォン人生相談

hinakichi
2021年10月10日

 畑の仕事中、ずっとラジオが流れている。普段はラジオを聞かないのでなんとなく新鮮。チャンネルは良くわからないのだが、11時にテレフォン人生相談が始まる。パーソナリティーは加藤諦三氏。日本の社会心理学者なのだが、心理学の本を沢山出している。あるがままに生きる・森田療法により自身の不安障害を克服し、同療法の観点から悩みを解決するお手伝いをしたい、と考えたのが始まりと昔本で読んだと思う。

 かくいう私も、20代半ば頃に初めて加藤諦三の『「やさしさ」と「冷たさ」の心理』(大和出版 1985)という本を読んで衝撃を受け、人生観ががらりと変わった経験がある。そんな氏の人生相談、興味深く聞き入っているのだがなかなか厳しい。相談者さんが説教されることもしばしば。相談者さん、相手を自分の思い通りに動かしたいのに動いてくれなくて怒っていたり苦しんでいたりする。しかし表面上自分に都合よく悩みを語っても即座に見破られてしまうのだ。そして喝!なんか爽快。笑

 少し前の相談で、ずっと仲良く暮らしていた夫が、ある日遊びの交通費をお願いしたら突然怒り出してそれ以来亀裂が入り離婚の危機で困っているという内容があった。ずっと仲良く暮らしてきたのに、どうしてこんなことになってしまったのか。氏の返答は「あなたは生まれてきてから今までの人生で、人間関係で「仲が良い」という経験をしたことが無いので、仲が良いとはどういうものかがわからないのです。」う、う~ん刺さる!!涙。親との絡みもあったんだったかなあ、この時は優しめにエールを送って纏めてたと思うよ。多分(いつも作業中なので時々聞こえなくて若干不完全燃焼)

 今までに5,6冊本を買った。色々な切り口から展開していくのだが、根本的な部分で伝えたいことは同じ。だが、言い回しや表現に必ず「お、これはなるほど」と思える新鮮な場所があるので時々、これからも新刊に手が伸びると思う。

カバーはもはや無くなってしまった

 



帽子が似合わないと思っている人のための帽子屋!【Hicktown Crftsman Club 】