新しい試み

hinakichi
2025年3月21日

 今年のTHEY展の日程が決まった。6月18日~22日の5日間。今年は裏小樽モンパルナスの会場が取れず、市民ギャラリーの一か所での開催になりそうである。

 20年以上、アクリル絵の具で制作をしてきた。初期のころは、描きたいモチーフとマッチして扱いやすかったのだが、このところ細い線を描くことが増え、どうしてもうまく掛けないジレンマに陥っていた。キャンバスの絵の細かい部分を色鉛筆で補正していたところ、そうか、紙に色鉛筆で制作すれば良いのだ、ということを思いついた。

 筆を鉛筆に置き換えると、想像以上に制作がはかどるのだ。すぐに取り組めるので、細切れの時間で1日のうち制作に取り組める時間が長くなった。そして負担が少ない。自分に向いているようである。

 実は初めての水張りにチャレンジし、いよいよ制作が始まった。初めは、色の3原色と黒で完成させられないかと思っていたが、今のところ未知数。写真は、まだまだ色がのっていない状態。なかなか、赤、青、黄がブレンドできず、まだまだ毒々しいな。座絶して、他の色を使いかけている。

 どのように完成するのか、まったく予想できない。それが、面白いんだな~!

本日のマンデラエフェクト2

hinakichi
2025年2月23日

 みなさんは、1993年にヒットした「ポケベルが鳴らなくて」という曲をご存じでしょうか?そして、その曲は、誰が歌っていたでしょうか。

 同名のドラマがあり、裕木奈江が主役を演じていたらしい。そして、そのドラマの主題歌を、裕木奈江が歌っていた。…はずだった。

 このところのTV業界の不祥事疑惑関連で、かつては裕木奈江が干されたと掘り起こされている。なんでも、同ドラマの主題歌を、主役である裕木奈江が歌う予定だったのだが、プロデューサーの要求に答えられなかったために国武万里に主題歌を奪われてしまったというのだ。

 ???裕木奈江、歌っていたよ?…… はっ!!これは…もしや例のアレでは。ピーンと来た私はすかさずネットで検索。すると信じられないことに、裕木奈江が主題歌を歌っていたとの情報は、1mgも出てこないではないか。一瞬だけ歌っていたが、すぐに国分万里に変更されたとか、そんな状況も疑ったが、探せない。

 当時、ものすごくヒットしたその曲は、何度も何度も画面に登場したし、記憶では確かに裕木奈江が歌っていた。ドラマは見ていないので、歌を国武万里が歌っていたのであれば、私は裕木奈江の存在を殆ど知らないはずだ。高校の美術部の後輩が裕木奈江を好きだというので、曲を踊り付きでからかった。当時、その「ぽ~け~べ~るが~、鳴らなくて~」のところの踊りが地味に流行ったのだ。

 その後すぐにぶりっ子バッシングが始まり、干されてテレビで見なくなった。経緯はたぶん、今言われている通りなのだろう。だが、私は譲れない。「ポケベルが鳴らなくて」主題歌は、紛れもなく裕木奈江が歌っていたyo!! 私は国武万里なんて知らーん!!(ゴメンナサイ)。同じ世界線を生きた方、情報を求む。(本気)。

 これが…これが私の勘違いだったら、私は自分の記憶の全てを捏造であると疑う必要がある。(それで良いという話もある。) マンデラエフェクトを見つけるたびに、何かの勘違いなのかと自分を疑う日もあるよ…。それですめば、そんな楽なことはあるまい。みなさんもこのような時、自分を信じてみては如何でしょうか。新しい世界線に足を踏み入れる勇気を…‼

ゴマシジミ来塩!? (追記アリ)

hinakichi
2024年6月3日

 だんなさまに任せっきりだった家の畑。今年、いつになく畑作業に私の力が入り、毎日土をいじる日々。今年は電動アシスト自転車を乗り回し、すごく筋肉がついてきた実感がある。ある日、銭湯で鏡を見ると、明らかに太ももが太くなっておる。びっくりした。そのせいか、畑で土を掘る作業が、自分でも驚くほどスムーズで、疲れにくい。

 5月15日のこと。午前中に畑作業をしていると、ちょうちょが飛んでいる。どれどれ、小ぶりだな~。青いぞ。…よく見ると、これは、まさかのゴマシジミではないのか!? でも、ゴマシジミがいるという事は、この辺に吾亦紅が生息しているということか。小樽には、朝里川や天狗山の方にゴマシジミが確認されているようだけれども。私はかつて、準絶滅危惧種であるゴマシジミについて、皆さんに生態を知ってもらい、自然を取り戻し保護する目的で、北広島ゴマシジミ研究部とともにゴマシジミの冊子を製作したことがある。ともあれ、生息域が広がっているなら、喜ばしいことではないか。と、そこまで考えてさらなる疑問が。今、5月の半ば。本来ならまだまだクシケアリの巣の中で幼虫の姿でアリにお世話になっている頃ではないのか。

 2014年、2019年に冊子を製作するために、ゴマシジミを見続けてきたし、死ぬほど描きまくったあのゴマシジミである。見間違えるはずがない!!と、思う…。こんなことってあるのかな。なにかの事情で、そのようなことがあるのかも知れない。というか、実は珍しいほどのことでもなかったりして。自分の都合よくロマンある解釈をすると、これは、私に何らかのメッセージを伝えにきた、メッセンジャーなのだな。幸せな気持ちになったことは間違いない。次の日、ちょっと胃の痛い打ち合わせを控えていたのだが、無事に終わったのも、このゴマシジミのおかげかも知れない。そこで、早速ナガボノシロワレモコウの苗を注文し、畑に植えることにした。小樽の塩谷を、朝里に次ぐゴマシジミの生息域に!

 昨日、家の風除室にベニシジミが入ってきて私に止まったので、畑に連れて行った。ゴマシジミも撮りたかったな!

追記

この10日ほどあとに、同じ個体と思われる青いシジミチョウが現れた。こんどこそはと、動画を撮った。前回は慌てていてよく観察できなかったのだが、これはゴマシジミではなく、ルリシジミではないかな。いやはや、先走ってしまいお恥ずかしい。ゴマシジミの色々な種類については勉強していたけれど、シジミチョウ全般についての勉強はしていなかった。調べると、ルリシジミはごく普通に見られるとあった。いやいや、他にも似たようなシジミチョウが沢山いるので、後ほど動画をみて検証しよう。

ゴマシジミ ゴマ研メンバー撮影
ベニシジミ うちの畑で



コッタロのチビッコ

hinakichi
2024年3月31日

 2006年に製作した絵本「コッタロのチビッコ」。これは、当時中標津高校に勤めながら鳥の調査を行っていた浦巧先生からご提案いただいたお話だった。大阪から釧路湿原のコッタロ地区に移住してこられた中本民三さんアキ子さんご夫婦と、タンチョウヅルの一家との、愛情あふれる交流の物語である。大自然の中で育まれる、自然と命の物語。

 当時、製作はしたものの、まだまだ力不足で、身近な面々からは「う~ん、どうかなあ」という反応だったのだが、どこを直すと良くなるのかも見当がつかず、また製本データを製作する技術もなく、コピーをホチキスで束ねるのが精一杯。そんなこんなで宙ぶらりんになっていた。

 3年ほど前に、このままにはしておけないと一念発起。16年程たち、自分も変化してきており、絵に関して色々見えてくるものがあった。修正の必要な部分がどんどん見えてきた。そして、去年の暮に少部数で印刷にかけてみた。それを、原案の浦先生とモデルとなった中本さんご夫婦に送ったところ、大変喜んで下さり、小学校に配りたいので沢山刷りましょう!となったのだ。

 そこで、今回はプロの手をかりようと札幌の中西印刷さんに見て頂いたところ、文章の修正が必要である事がわかり、丁寧に指導していただいたのだが、さすがプロ! 急に絵本になってきた。今、絵の最後の修正を行っている。明日、原画を中西さんにお渡しして、いよいよ完成まで近づいてきた。

 ネット印刷ではなく、正式に印刷会社にお願いするのも、内容を指導してもらったり、ハードカバーになるのも初めての経験。とても完成が楽しみである。



奇跡のリンゴ

hinakichi
2023年11月23日

 すっかり秋も終盤、雪の降る日も増えてきた。今年は夏が暑すぎて、作物がうまくならなかった話をよく耳にした。一戸家も、今年はあまり畑に手をかけられない都合もあって、真の自然農法またの名を完全放置農法となってしまったこともあるのだが、去年のようには収穫できなかった。しかしながら、にらは何度も美味しく食べられたし、受粉しなかったかぼちゃやズッキーニも、いくらか育った。最近、室内でお香の代わりにホワイトセージを焚いているのだが、購入したものより、育てたホワイトセージの香りが気に入っている。

 さてそんな中、今年のリンゴは優秀であった。4本あるリンゴの木全部合わせて、とうとう7つ実をつけ、最終的に4つ収穫できたのだ。去年は初めて3つ実をつけたのだが、途中で枝が折れてしまい、枯れてしまっていた。いざ試食すると、さわやかで甘酸っぱく味が濃い。おいしいぞ!! 親にお土産で持っていくと、「経験したことのない美味しさであった」との感想。これは、来年も期待大!

フジ
王林
4種類あるリンゴの木
袋掛けをしていたが、大風の時に落ちてしまった。



本日のマンデラエフェクト

hinakichi
2023年8月2日

 もはやシリーズ化である笑。今日車中で音楽を聴いていて、偶然に流れた曲「Moonchild / King Crimson」は、昔ハマって繰り返し観た映画で流れた曲だった。映画のワンシーンで、この曲でクリスティーナ・リッチが寂し気にタップダンスを踊るのだ。これこれ~、なつかしい。当時このシーンが大好きで何度も繰り返し観たのだ。ユーチューブに上がってないかな、、と検索してみることに。タイトルは「バッファロー‘69」…えっ、「’66」!? オーマイガー。タイトルは確かに69だった。当時タイトルを言うとき、勾玉のようなイメージがまず頭に浮かび、続いて一瞬69か96かで立ち止まり言いよどんでいたので、思い違いなど考えられない。66だったなら、そんな思考の展開にならないではないか。ちなみに検索時、村上龍原作の映画「69 sixty nine」が出てきたのだが、混同した可能性は断じてない。しかしこれ、信じてない人からしたら、66を69と思い込んでたただの微妙な人としか思えないよね!! 同じ記憶のある方、メール for me–!! 涙

 今までのネタは、言ってもまあ私の思い違いやら何かの加減だよね。。と心のどこかで思っていた。だが今回の事で私は、とうとう疑いようのない個人的マンデラエフェクトに遭遇したとの確信を得た。ああ。これまでの私よさようなら。。最後にクリスティーナリッチのタップダンスをどうぞ。





製作のヒント

hinakichi
2023年6月28日

 

・60年前の中学生の作品

 父の展示イベントの講話の資料を整理する手伝いをした。もう60年も前の中学生の作品を写真に撮っていった。

 画像は、トンボをモチーフにイメージを膨らませて物語性を持たせながら製作するというテーマの課題で出来た作品である。目にした瞬間に私の心がときめいた。花の中央がアンモナイト(カタツムリの殻?)になっており、その中からトンボが出てきて、ほろほろ落ちる太陽のかけらと戯れている。太陽が出ているのにこの暗さ! 周りの空間の色合いや質感が、(うまく映らなかったが、)微妙なゆらぎによって異空間の不安定さを醸し出す。

 トンボというモチーフだけでこのような作品ができるのか。このところ、作品を製作しようと内容を考えるとき、いちいち意味合いなんかを考えすぎてしまい、なかなか降りてこなくて苦しむのだが、難しく考えることはないのだ。たまたま目に入った(たとえば)眼鏡、とかでもモチーフとしてとらえ、そこからイメージを膨らませ、形を作っていく。それだけ。メッセージ性より、ただそこにある絵画を目指す。

 なにか大きなヒントをもらった気がした。60年前に中学生だった作者のアナタ!名前もわからないのですが、これわたしの!って気付きましたらご一報を。お返しします。

 展示案内にアップしたが、THEY展の展示が近付いて来ており、目下追い込み中である。



ホッケ釣り

hinakichi
2023年5月4日

 随分経ってしまったが、初春にホッケを釣りに行った。塩谷のアニキに連れられて、4人でまだ暗い余市の海へ。どんどん日が昇り、快晴に! しかし、油断していたらとても寒く、私は途中から車の中で見守った。沢山の人々がホッケ釣りをしている。

 海を覗くと、ホッケの群れが良く見える。そばの釣り人が釣れるわ釣れるわ、凄いな~と思っていたら、竿を渡され私もホッケ釣りに初チャレンジ! 初めてなのに、なんと6匹も釣れた。夫婦で計25匹。午前で終了したのだが、「こんなに釣れている時に帰るなんてもったいない!」と残念がられた。

 大量に釣って、保存食にする。今回の目標である。そのまま冷凍でも良いのだが、今回は糠ニシンにすることにした。頭を落として、内臓を取る。ひたすらに捌き続ける。最後のあたりで出刃包丁の刃が欠けてきた。(安物の包丁だからかなあ) 一晩塩をして水分を出し、次の日糠に付け込んだ。そして、数日漬けて糠ニシンが完成、その後冷凍庫へ。その糠ニシンも、あと3本になった。

 また一歩、半自給自足生活に向けて前進した。釣りに行った日の朝日が、雲の隙間から塩谷丸山を照らしていた。うまく写真をとれなかったのだが、直に見るととても神秘的に見えた。



山に暮らす雑談

hinakichi
2023年3月15日

 働かせて貰っている農家さんで、近頃は接木作業を行なっている。細かい作業は老眼鏡が必要となってしまったが、好きな作業だ。作業中時折り会話を楽しむのだが、それがまたいつも興味深い。最近教わった生き物の話がいくつかあって、その中の一つ、熊の話を。

 北海道では、住宅街に熊が出没するのはよくある事だ。実家の側にも、現在の自宅の町内も、農家さんの周辺にも、何年も間隔は空くが、熊が出たとニュースになる事がしばしばある。昔は鈴を鳴らして歩けば熊は遭遇する前に身を隠すと言われていたが、現在では鈴を鳴らすと逆に寄ってくるらしい。人間が怖くないことが分かって来たのだろう。

 人間が襲われた時、まず怪我の部分から襲って来た熊の遺伝子を解析するのだそうだ。そして、山に逃げたその熊を探し出し遺伝子を照合して特定し、殺処分する。それは、人間が美味しいと気付いた熊が、人間を襲う為に山から下りて来るのを阻止する為なのである。こ、怖いな〜。動物が冬眠をするのは餌が無いからで、餌があるとなると、冬眠はしないらしい。人間美味しいぞとなったら、年がら年中、熊が町を彷徨くことになる。すぐ数メートル先で遭遇したという話を時々聞くので、心積りをして、対策を練っておく必要がある。

 私の祖父が仲間数人とクマに遭遇した時の話。目の前に大きいクマが立ちはだかり、絶体絶命! 仲間数人で一つの塊となり、一斉にクマを睨みつける。どちらも動かない。ややしばらくして熊が動こうとした瞬間に皆で一斉にワー!!と叫び声をあげ威嚇する。視線は絶対に外さない。熊は動きを止めこちらを観察、またややしばらくの間の熊との微動だにしないにらみ合い。これを何度か繰り返していると、何度か目に、突然熊は体を翻して山へ猛スピードで逃げていったという。

 子供の頃この話を聞いた私は、睨む姿勢とワ~と叫ぶの繰り返しを、来るべき日に備えて訓練をするのであった。皆様も備えあれ。



よもやマンデラエフェクトか

hinakichi
2023年3月1日

 父親が彫刻の制作活動の60周年を迎える。4月の末から、本郷新記念札幌彫刻美術館で60周年の記念展を開いていただける事になった。それは後日紹介させて頂くとして、今回は展示準備の作業中の出来事を。

 このところ、記念展にむけて準備の手伝いをしに実家へちょくちょく戻っている。数日前は、美術館から要望のあった作品の画像纏めを行っていた。アイコン画像を見ながら、元データをファイリングしていく。風髪’80というタイトルの作品の元画像を見つけて添付したのだが、美術館から届いたアイコン画像とどうも様子が違う。どちらかのタイトルが間違っているのだろうか…と、父に問うと同じじゃないの?と言ってくる。いやいや、そっくりなのだが、肩の切れている場所が違うし、体のひねりも違う。「え~、これ絶対違う作品だよ。」と言うと、「このタイトルの作品は一つしか作ってない、角度が違うから別の作品に見えるのではないか?」と返事がくる。そんなわけないではないか、向かって右の腕が、片方は付け根から、もう片方は少し下あたりで切れている。「これは、同じ時期に同じテーマで2パターン制作したのではないのか?」と聞くと、「そんなことは絶対にない、これは初めてテラコッタで制作した、活動の転機となった記念すべき作品なのだ。」と言ってくる。そうなのだ。おまけになかなか大きくてたいそう重い。背景からも二つ作ったとは考えにくい。

A
B

 母親を呼んで画面を見てもらうと、なんとこの作品は曰く付きのものだと言い出した。もう随分前に作品集を出す際に、こちらの作品の撮影をして画像を見ると、頭の上に煙が立ち上っている。これは、大きな埃でも落ちてきたのではないのか? いやいや、このようにはっきりと映っている煙が埃ならば、撮影中に気づくはずだし、撮影後も探せば見つかるはずだ。でも、この煙は画像を見て初めて現れたものなのだ。その時はパソコン上で煙を消して画像を使ったので、元画像は残されてはいない。もしや、今回の作品の変化にこの煙がかかわっているのではないのか。そう、これまで2度記事にした例のマンデラエフェクトである。

 しかし、自分の中に仮説があった。家に帰り、自分のパソコンで写真を眺めた。試しに片方を反転させて比べると、方向は違うのだが、同じ作品であることが判明した。何のことは無い、画像が反転して保存されていたのだった。

A
B 反転

 しかしである。作品の記録用の写真を反転することなど絶対にありえない。カメラの撮影時、初めから反転の設定があるのかはわからないが、パソコンに取り込むまでの作業の間に、うっかり反転する機会は無いように思える。また、その後もう一つ反転した別の作品の画像が見つかったので、うっかり操作ミスを二つもするようなことがあるだろうかと疑問が残る。この度の騒動のカラクリは、マンデラエフェクトが起こり現実を擦り合わせるようにして、反転したという過去が構築されていったという事なのではなかろうか。う~ん、そう考えなければ、気持ちの落としどころが無い。

 なんでマンデラエフェクトがあってほしいかというと、過去にやらかしてしまったあんな事やこんな事が今いる世界線では無かったことになるのではないかという淡い期待のせいなのだった。いや、本当に、無かった事なのかもよ。